不思議テントの中でオークに変体したカイルとのチェイスで消費した体力と魔力を癒すべく、カレンは回復に専念をしていた。不思議テントの概念防御は信頼出来るものであったが、実際は何がおこるかわからないからだ。
カレンはこの一時的であろう休戦状態を有効に活用すべく、冷静に状況を分析する。
もし、不思議テントの周囲を密閉空間で囲まれたら?
いや、密閉空間とは行かないまでも、周囲を水で埋めつくすなどの対抗策をとられたら?
不思議テントという半ば反則に近いアイテムを持ち込んだ自分たちに対して、報復措置として、ダンジョンマスターが安易と逃すとは思えない。クエストはクリアできても、生還が確約されるとは限らない。後出しじゃんけんに対応するだけの力と策は、無いよりもあったほうがいい。
「うし、チャージ完了」
先程放った魔法力のチャージを完了し、カレンが気合を入れ直したその時、――ざ、ざ、とカレンの場所へ近づく複数の足音とオークの荒い鼻息が、遠くから反響してカレンの耳に届いたのであった。
「……アル」
双方別れて獲物カレンとアルを追っていた追手が、カレンへと戦力を集中する。これが意味をすることをカレンは思考する。
――一つ目の可能性。アルフレッドが不思議テントを展開する前にリタイヤをした。
――二つ目の可能性。さっきのオークが増援を呼んできた。
――三つ目の可能性。不思議テントに対して何か対抗策をしにきた。
一つ目の可能性は薄かった。カレンが知るアルフレッドは、移動速度という意味では、自分よりも数段上である。カレンでさえ展開できたのにアルフレッドにできない道理はない。二つ目ならば放っておけばいい。先のオークが二匹に増えたところで状況は変わらない。三つ目ならば、状況によっては一度不思議テントを解除して、この場を離脱する必要があるかもしれない。解除と同時に水没や生き埋めは御免である。
ならば、
「まずは相手の出方を見極めなきゃ」
と、注意深く外の様子にカレンは耳を傾ける。
しかし、その思考は徹のマスターロッドの一振りによって全くの徒労に終わらされた。
――パキン
という乾いた音とともに、絶対無敵の正三角錐がバラバラと崩れていく。開けるカレンの視界に二体のオークが映る。カレンは直ぐ様身を翻しこの場を離れようと、その一歩を踏み出そうとするが、カレンはその場を動かなかった。
いや、動けなかった。
カレンの視界の隅に映ってしまった青いバンダナ。
アルフレッドがいつも頭に巻いていた、青いバンダナ。
それが、彼女の逃走という選択肢を綺麗サッパリと斬り捨てさせた。
(――アル、アル。――ほんと、アンタは世話をかけるんだから……)
敵はこちらの想定のすべて上回った。ならば自分にできることは多くはない。逃げる代わりにカレンが選んだ選択肢は、最も彼女が得意とすることである。このクエストでは挑戦者の生命は保証されている。ならば逃げるよりは、問答無用の力押しゴリ押しが彼女のスタイルである。
カレンの両手両足にチャージされた魔力が組み上げられた魔方陣により展開・解放され、
「こいつらブッ倒して迎えにいくから待ってなさいよ、――アル!!」
そんな精一杯の強がりを叫び、
『熱核破壊陣(マグナ・グリッド)!!』
瞬間、狭いダンジョンの中でありえない連鎖爆発が起こる。二階建て程度の建物なら容易に吹き飛ばす爆発魔法を、陣形により八発連続で起爆させるカレンの最終奥義である。
発動と同時にカレンは結界魔法(キャンプ)を再展開。爆風と炎の嵐が無慈悲にクエストエリアを地獄へと変えていく。
そんな中
[――いや、カレンちゃんすごいねぇ、アルテちゃんのバンダナ見た瞬間にコレとは、いやあ、愛されてるねぇ]
マスターロッドの概念結界で魔法を遮断しつつ、徹は念話でアルテに話しかけた。
[――うん、カレンはとても良い子なんだ。……だから、早く、愛し合わないと……、僕のモノにしないと――]
――誰かにとられちゃう、と
炎の向こうにいるカレンへとアルテは虚ろな視線を向ける。
[――は、はやく、徹様!! ボク、ボク……ッ、――ボクもう我慢出来ない!!]
そのアルテの心の叫びに、徹は悪魔の笑みで答える。
[くっくっく、アルテちゃんは俺の可愛い肉便器だからね、ちゃあんとご褒美はあげるよ? ――ちゃあんとね?]
【支配者要求:初期遷移(ルーラーリクエスト)>クエストエリア】
徹のマスターロッドの一振りで、クエストエリアに荒れ狂う炎が瞬時に消え、そしてカレンの結界魔法(キャンプ)でさえも、現在の立ち位置や記憶はそのままに発動前に巻き度される
――空間支配。マスターロッドで掘られた空間はすべて徹の思うままである。
呆然と立ちつくすカレン。それもそのはずである、渾身の奥の手があっさりと無効化されたのである。この現状は彼女にとって想定外どころの話ではなかった。抗魔されたとかそういうレベルではない、まるで魔法発動などなかったかのような周囲の状況。次元の違う何かの手のひらの上で弄ばれているような、自分に感じる猛烈な矮小感。
目の前には口からは涎、股間からは汚らしい汁を垂らし続けるオークが一歩一歩迫ってくる。
そんな中、カレンが短剣を抜き、首に充てる。
(――ごめんなさい、アル、私、こんなオークに嬲られるくらいな――
【支配者要求:自殺禁止(ルーラーリクエスト)>カレン】
ぽとりと、カレンは短剣を捨てた。
「――え、なん……で?」
カレンは自分の行動が理解できない。自分は確固たる意思を持って命を絶とうとしたはずであった。それは自己の防衛、矜持、そしてアルフレッドへの思いからくる揺るがぬことのない最後の選択肢だったはずだ。
一秒前の壮絶な決意が、まるで煙のように消え去る不条理。
彼女の目の前にオークが迫る。
目の前に転がる短剣を取る時間は十分にある。
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しかし、カレンにはその行動を是とする論理がわからない。
ぺたん、とその場に尻もちをつくカレン。
それが引き金となり、アルテがついに欲望をむき出しにして、カレンへと襲いかかる。
「――ブモォオオオオ!!(――カレン!! 今!! 愛してあげるよ!!)」
「……いやぁ、――いやあああああああああああああああああ!!」
(くくく、楽しみだなぁ、実に楽しみだ)
その様子をただ一人これからの結末をしる徹は、実に楽しそうに見守るのであった。