歪曲コミュニケーション

24話 神田佳奈美③


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「パパ上様、パパ上様ー、なかなかいいやつじゃないですかー、久通パイセン。よい跡取りになりそうだし、婿っちゃえば?」
「まて、色々と言いたいことはあるが、いや……いくつかツッコミを入れたいんだが、ああくそ、俺そういうキャラじゃねぇのに。もういい年してるんだけどよぉ。うーんどうしようかなこれ。うんだめだ、これだけは言わせろ。とりあえず、お前正気か?」

 ここは神田弘蔵の仕事場の一つ。派手さは無いが高級そうな調度品が並びつつも、機器類は武智から見ても機能的な配置となっている。弘蔵の仕事はわりと山積みであるはずである割に、にデスクの上は綺麗に整頓されていて、むしろ何もない場所の方が多いのもポイントが高い。

 それでまあ、ここがどこかと言えば理事長室である。神田佳奈美との会話の後、武智はその足で理事長室に向かい、部屋に入るなりこれである。

「え、だって問題なくね」
「大ありだ馬鹿もんが」

 この理事長とタメ口。これができるのはこの学園では武智と娘の神田佳奈美ぐらいだろう。この神田弘蔵という男は学内でこそ理事長だが、基本的にここら一帯のドンといっても差し支えない。衣食住、仕事趣味、全てにおいて神田家が関わっているといって過言では無い。当然生徒達はその恐ろしさを肌で感じ取っている。彼が常日頃から絶対と定めている理事長ルールにひっかかり、その被執行者が碌な目にあっていないことは認知済みだからだ。

「なんで。頭も体もそこそこの良物件じゃん、汰奈橋パイセン」
「ばかいうな」

 弘蔵の答えは即答だった。ここに汰奈橋家の面々や彼に近しい人間がいようものなら、憤慨する理由をもって。

「お前わかっていっていいるだろう。――それっぽっちじゃぁ、足りなすぎる」

 とばっさりと彼の価値を切り捨てた。

「いいか、ミツ。お前もこの学園にいるならわかるだろ? 俺の教育方針と、俺が生徒達になーにを求めているのかをよぉ」

 いまさら言わせんなと言わんばかりの弘蔵のため息が部屋に満ちる。武智はさいですかー、なんてコクコクと頷いている。

「総合点高めの平均値七十五より、一つが二百で後がゼロ、俺の学園はそういうヤツらを探し出すタメだけにあるんだよ、そんな能力真っ平らの人並みのぼんぼんなんざ興味の内にも入らねぇ、婿取りなんてもってのほかだな、なにより面白くねぇ」

 全く本音を隠す気がないというのはこういうことを言うのだろう。悪びれもせず気兼ねすることもなく、こういう発言ができる人間はある意味貴重だ。なにより生徒に求めるだけでなく本人自身も尖っているという証明である。ちなみにこの神田弘蔵という人間は、ここにその手の人権活動家や平等主義の職業市民の皆様がいても同じことを躊躇いもせずに言うだろう。

「でもまあ、佳奈美が入れ込んでいるところをみるとそれなりにもってるのか? その久通君とやらは」
「どうだろう、行動力はあるんじゃないかなぁ。あとそれなりにタフそう。メンタルというか、わりと割り振り返らないところが、そこんとこちょっと様子見なんだよね。彼さー、今のパイセンわりと佳奈美先輩におんぶに抱っこじゃん? それが分かってやっているのか、その場の勢いで自暴自棄だけなのかでちょっとこっちもやり方変えないといけないんだよねぇー」

 と、そんな武智の汰奈橋久通評を聞いた弘蔵は少し驚いた顔をした。

「なんだよ、結局やるんじゃねぇか。仕事が絡んだ趣向だから燃えてねぇと思っていたぜ」
「いやぁ、お金大事ですし、スポンサー様のご意向ですし――」

 武智光博は、欲しいと思わないと、いや、まぶしいと思わないと、あこがれを抱かないと、その狂気染みた執着を表に出せない。身近で仲の良い女子からの恋愛相談、親友が好きだといった後輩、男っ気が内癖に年下と付き合っている同級生、双子同士で完結している人間関係。当然久通とはそんな人間関係を彼はまだ構築していないし、そもそも構築する気もないだろう

 その人間関係の中に、入りたい。介入したい。自分の何かを刻みつけたい。そのためには自分が形を変えて隙間に収まるか、その関係を歪めて自分が入りやすい形にするしかない。人のものが羨ましいという感情は、自分もその人の輪に入りたいという感情に起因する。もしかしたら武智光博は、とても寂しさを怖がる人間なのかもしれない。

「きっちとやることはやらなきゃいけないってのは大前提として――」

 神田弘蔵は、その瞬間久しぶりにぞわりという悪寒染みた感覚を味わった。そしてこの武智光博という男と初めて会った日を思い出す。

「盗られるの、一番嫌いなんだよね」

 まぶしくて、憧れて、羨ましくて。
 今の彼を突き動かしているのは、そんなポジティブな感情ではなく――。

 頑張って、努力して、力を尽くして、作った歪んだ人間関係。それを壊した不届き者など許しておけるかという、どす黒く、自分勝手で独りよがりな我が侭である。

 だって、神田佳奈美と武智光博のご主人様とそのペットという関係は、仕事上で弘蔵から与えられたわけでもないのだから。神田佳奈美が他人の婿になるのは別に構わないが、自分との今までの関係をおじゃんにはされたくない。そんな気持ちを誰が完全に理解出来よう。

「あの事件は結局色々あったが、お前は佳奈美が拾ってきたんだもんなぁ」

 武智の中学時代は決して明るい青春ではない。まかり間違って、神田弘蔵と神田佳奈美と過去の事件で接触することになったが、普通ならそこで彼等の関係は終わるはずだったのだ。

 そう、神田佳奈美が、彼に興味を持たなければ。

 彼は実際過去の事件で結果的にとは言え、彼女を救い、取り戻していた。奪われたがり、取り戻されたがりの彼女が、それを愛と勘違いした彼女が、彼に興味を持たないわけがない。

 だが両者にとって最大の誤算は――、

 当時彼女に興味を持たれたことによって、武智も神田佳奈美によって救われていたことだ。仄暗い施設暮らしの中学時代から一変し、衣食住に加え、楽しげな学園生活も送れるようになり、やりたいこともやれ、学ぶ機会も与えられた。なにより友人と言えるものが権野以外いなかった武智が高校生から自分以外の誰かと人付き合いの方法を模索しはじめたのも彼女の存在が大きい。

 そんな彼女が。
 ああ、そうだ、そんな彼女が。

 汰奈橋久通とかいうどこの馬の骨ともしれない男を、最初はぶつかって後は流れでみたいなよく分からない理由で救おうとしている。いや救うのは別に良い。ただ救われるその当人がいやしくも彼女を独占しようとしている、それが彼は気にくわない。武智が佳奈美に持ち続けている憧れに酷似した執着、敬いに見せかけた独占欲。

 牧村と中田に感じた感情は、軽い喪失感だ。わりと近くにいた女の子に彼氏ができた。ちくりと刺さった胸の痛み、その痛み気にならないレベルまで薄めたかった。権野と真堂に対しては親友に対しての悪戯心だった、それが背徳的な快感にまで発展することを抑えきれなかった。大生沢に悪いと思っていた。ちょっと年下の彼氏の知らないところで彼女に消えることのないマーキングでも付けてやりたかった。結城姉妹に関しては、二人の関係に親近感が湧いてしまった。是非とも自分の気持ちも理解して欲しかった。

 そのために、弄って、犯して、溶かして、歪めた。
 全員が全員悪いと思ってる。
 だから彼等の関係性が悪化しないように、しっかりとケアは怠らない。
 墓場どころか来世まで持って行けるように、人間関係自体を作り変えた。

 自己満足心に極まる。

 この感情は、彼はどうにもこうにも隠せそうにない。
 このもやもやは。
 このいらいらは。

 そうだ。

 武智光博は、汰奈橋久通に強い嫉妬心を抱いている。狂おしい程に、恨めしいほどに、焦がれるほどに、あいつをどうにかしてやりたい。

 協力してくれないかなんてよくいったものだと。彼はあの時、対する久通に静かに切れていたのだ。

「当然協力は惜しまない。佳奈美先輩の元彼として、惜しみなく力になってやるさ、あ、なんか楽しくなってきた。ぶはは、久しぶりに燃えてきたぁ!!」

 無駄にテンションが上がる武智を見ながら神田弘蔵は心の中で呟く。その右手の指輪を昏く光らせながら。

「あーあ、まーた後始末の仕方考えなきゃなぁ」

 弘蔵はきっと彼は自分のオーダーをまたこなしてくれるだろと確信している。それどころか神田佳奈美を一生縛り続けてくれると、思っているし、期待もしている。そしてその予想は完全に当たるだろう。

 なぜならば、神田佳奈美が他の男になびくのはこれが初めてじゃないからだ。その相手が壊れてしまうのも、きっと今まで通りだし、これからもそうなるだろう。この男がいる限り、神田佳奈美に執着するかぎり。

 このたぎる嫉妬心で、
 手酷く奪い返されて、
 心を壊されて、

 そしてまた、彼女は彼に惹かれ直して、
 そして彼は彼女に癒やされ返されて、
 この馬鹿げたやり取りが繰り返されていく。
 ずっと、永遠に。どちらかの歯車がすり切れるまで。

 誘蛾灯とその近くで待ち受ける肉食昆虫のような神田佳奈美と武智光博の関係性。他人(贄)を巻き込みながら浪費し使い捨てていく、破滅的な機械歯車。そのかみ合わせは、間でぐちゃぐちゃにされる人間で潤い続け、再び円滑さを取り戻して廻っていく。

 この関係が続く限りは神田弘蔵は安心できる。いままで何処に飛び出しいってしまう分からない、一人娘が目の届く範囲でぐるぐるまっていてくれるのだ。そのためだったら別に他人がどうなろうと些細な痛みだと。

「割とお前のことは気に入っているんだぜ? ミツ」

 そんな彼の呟きを聞いたか聞かなかったかはわかないが、弘蔵の目に入ったのは、テンションを高めて仕事へと向かう武智の後ろ姿だった。

 神田佳奈美とセックスした男は何事もなく、付き合った男が破滅している理由がこれだ。地雷女が弾頭男と一緒に爆発すれば、一般人なんて跡形もなく残らない。体よりも心をとられる方が辛いなんてどこかの歌手が歌ってそうな案配であるが、そんな妄想を現実で行う輩がでてくると、その足跡には狂気の沙汰しか残らないだろう。

 親からして狂っていて、その娘も歪んでいて、その取り巻きも普通じゃない。だがそんなことは外からはわからない。関わって、交流して、牙を剥かれて、初めて分かることなのだ。

「えっへへー☆、ダーリン、私を守ってね」

 どこぞとも知れぬベッドの中。
 神田佳奈美はこれから来るであろう確定的な破滅に胸を膨らませていた。

 だが。

 夢見がちな彼女が見ているの夢は、汰奈橋との未来である。
 取り替えされるなんてひとかけらも思っていない。
 過去のことなんてスパイス程度にしかなっていない。

 彼女は最悪にも、武智か汰奈橋のどちらかが大変なことになってしまうのではないかということにワクワクしている。いやそれは少し正しくない。彼女はその破滅の輪の中にきっと自分も含んでいる、それを含めて楽しんでいる。

 そのつど本気。
 そのつど破滅。
 彼女は基本的に何があっても前しか向かない。

 だから汰奈橋久通が彼女が進む速度についていけなくなった時。
 彼女はとっての大切な玩具がゴミ屑に変わり果てる時。
 彼が最後の選択を間違えなければよいと、節に願う。

 彼女が彼を今見ているのは、間違い無いのだから。

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