歪曲コミュニケーション

23話 神田佳奈美②


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 汰奈橋久道という男は基本的にまっすぐな男である。友人も多く、評判も悪くない。クラスメートの女性からもある程度の好意を寄せられるほどのルックスはあるし、強豪校とは言えないまでも転入前の高校ではサッカー部部長も努めたぐらいだ。成績は最上位とはいかないまでも、上位十人には位置している。男女問わず友達もいるし、もちろん童貞だって卒業済みだ。一般的な高校カーストでは上位の方であるといえる。親の教育のたまものである。

 と、言いたいところなのであるが。
 彼のようによーくまとまった人間にも弱みはある。

 汰奈橋久道の弱点。それはその教育を施した両親である。いや、弱点というには少し方向性がことなるであろうか。いわゆる目の上のたんこぶ、煙たい存在、立ちはだかる壁といった方がよいかも知れない。

 彼は基本的に親のイエスマンであった。親を立て、気持ちを組みとり、多少理不尽に思えることでも、育ての恩と会社経営という大変であろう親の仕事を鑑み、できる限りの求めには応えて実現してきた。

 常に十全とは言えないが八から九という結果を出してきた。推薦入試も取り付けてある。大学へ進学したらる程度自分の好きなことをして生きていく。そんな矢先だった。

 汰奈橋の父親は酷く憤慨していた。なんでも数億単位の案件に負けてしまったと久道の耳に入ってくる。相手はここら西多摩一帯の有力者である神田家である。ちょっかいをかけた隣地買収で手酷く負けて、かなりの利益を失ったと父親と母親がこぼしていたのを聞いてしまった。

 しかし両親の行為に対する彼の評価はそれほど高くない。そもそも契約が進行している区画の一部を横から買取り、神田家側に交渉するような狡い方法をしかけて置いて、今さら何をいっているんだと久道は思っていた。しかも失ったのは利益で、別に資産や資金を失ったわけでは無い。時間と手間暇はそこそこあるであろうが、また別の所で稼げば良いのではないかと、彼は内心考えていた。そのうち父親も割り切って次の仕事へと移るのだろうと、そう思っていたのだ。

 だがどうやらその負け方が手酷かった。買い取った物件を武器に、神田家側に乗り込んだら、実は書類上の不備で契約は無効でした。となんとも不可思議なことが起きていたのだ。当然汰奈橋の父もプロである、そんなことは万に一つもありえない。

 つまりだ。

 汰奈橋の父は神田家に喧嘩を売って、ものの見事にやり替えされたのだ。役所を丸め込んだのか、書類をすり替えられたのか。それとも契約先が最初から全くの別人だったとか。難にせよ、彼の父は神田家の長い手に搦め捕られ、軽るーくやり込められてしまった。

 よっぽどであったのだろう。汰奈橋の父は神田家の裏と表と調べ上げ、アキレス腱を見つけ出した。神田弘蔵の一人娘、神田佳奈美の存在である。

 数年前のとある事件の内情を探り当て、彼女が毒にも薬にもならないやらかしを何度かおこなっており、その解決に奔走していたことを知る。彼女さえ取り込んでしまえば神田弘蔵はなんでもするだろう、そんな予感を彼に与えてしまった。

 なんせ、ヤクザからも破門された屑オブ屑に彼女が拐かされた時、警察にも連絡せずに相手の言いなりに数千万の現金を用意して自ら出向いたほどだ。子煩悩ここに極まれり、嫌がらせをするならここしかないだろう。そのように彼が考えるのも無理はない。

 だがしかしこの情報には重要な点がいくつか抜け落ちている。その屑男の命日がその日であったことや、弘蔵が乗り込んだときには、全て事件は解決済みだったこと、なによりあの日弘蔵が警察に連絡しなかったのには明確たる別な理由があったことなどである。このことは神田家の家人で事情を知っている近しいものでさえ、当日やばい何かがそこにいて、弘蔵と屑の思惑を全てぶちこわしたことぐらいしか知られていない。汰奈橋の父親がこの情報を掴めないのもしようがない。

 話を戻そう。

 そんなわけで、進路も何も全てを捨てて、あいつの家の一人娘をコマしてこい。そんな難題を久道は父親だけでなく母からも一緒に命じられてしまう。トドメの一言はこれまたキツい。なーに、どうせお前は俺の会社を継ぐんだ、学歴なんて適当でいい。とか実の父親から言われた息子の気持ちはどれだけだろうか。

 その一言が決定的となり、彼は両親に絶望した。ささやかな自由を得られると思った進路を取り上げられて、代わりに親の会社の跡取りという懲役刑を目の前につり下げられた。目の前にぶら下げられた人参が不味い上に腐っている。こうなってはいままで最終的には会社を継いでもいいかな、なんて気持ちも藻屑と消え失せてしまう。

 彼自身、ひいき目に見ても自分は会社経営者の一人息子としてそう悪くない人生を送ってきたはずだと考えている。他人から見てもその考えは間違ってはいない。故にこの仕打ちに対する彼の絶望は深かった。彼にもし自由になれるとそそのかす存在がいたならば、きっと何でもやったことだろう。

 手続きもまだなのに一方的に決められた編入予定日の一月前、その日彼は絶望と共に学園の下見に来ていた。反抗の一つでもしたいが具体的に何をすればいいのかも分からず、両親の言われるままに動いていた。夏休みも後半だが、部活動も盛んな様子がみてとれ、雰囲気がよい学校に思えた。ただし、それでも今の友達や後輩達とは比べるべくもない。

 そんな中、二人は前触れなく出会ってしまったのだ。

「およ☆ キミ、見ない顔だねー!! ってうっわ、顔色わるっ、大丈夫? ひざまくらしてあげよっかー☆」

 あっけらかんとした裏表の無いその声に、彼は思わず振り返る。気が乗らない両親の命令で資料は軽くしか見ていなかった久道であるが、さすがにこう面と向かえば認識する。そう、いま目の前にいる女生徒は神田家の一人娘で、自分のターゲットだと。

 第一印象は天真爛漫で性格のよい子だなと彼は思ったであろう。次に写真で見た容姿と実際に見た容姿が一致していて、ちょっと遊んでいる子なのかな、と思ったかも知れない。スタイルがいいな、とも、

――そして、あれ、おっぱいやわらかいな、とも。

「キミ、何か抱え込んでるね。辛いこと吐き出しちゃえば? 私つきあっちゃうし☆」

 彼女の声は汰奈橋久道の耳元で聞こえた。神田佳奈美に頭を優しく抱えられて胸元へ母性溢れるハグ。真夏だというのに清涼感溢れる胸元に柔らかで大きい胸、そして、知らずとも敵対勢力の、これから騙し捨てようということした男の頭を、んーよしよしと優しく撫でてくれるというこの行為に――

 汰奈橋久道は思わず嗚咽を混ぜながら、己の気持ちを全てその口から溢れ落としてしまった。思わぬ衝撃に心が突然涙を流してしまった。張り詰めていた糸が切れてしまった。なにより彼は、自分が親の言いなりで他人に迷惑をかけることずっとずっと気にかけていたのだ。そんな時にターゲットである本人に打算なく慰められ、良心の呵責に耐えられなくなったのである。




 そして事後である。
 一話前にも書いたかも知れないが、事後である。

「俺と一緒に暮らそう」
「うん、いいよ☆ ダーリン☆」

 散々ヤった後のベッドの上。硬く愛を誓い合う神田佳奈美と汰奈橋久道。流されやすい系女子と、愛を知った気でいるここではないどこかへ系男子が晴れてカップルとなった瞬間だった。

 そしてここまで事態が進行してようやく神田弘蔵が異変に気づく。そのきっかけは汰奈橋夫妻から警察に出されたの捜索願いだ。どうやら一週間ほど連絡がつかなくなっているらしい。方々の情報をが集め、事態を把握した神田弘蔵が武智へとメールを送ったのだ。

 仕事だ、と。

 『神田家』対『汰奈橋家』――、違う。
 この話はそうではない。

 そもそも神田弘蔵、神田佳奈美という人物をして、汰奈橋の面々は人間力という点において圧倒的に弱い。元々勝負になどなろう筈もない取り合わせなのだ。ことの発端である汰奈橋夫妻はこの時点でこの話からフェードアウトする。当然彼等の名前は今後も出てくることはほぼないだろう。

 つまりはだ。

「佳奈美先輩と久道先輩対、俺と姉妹ズってわけだよ、今回の件は」
「思っていたより~」
「ずっとやばそうなんだけど~」

 二学期の始業式から数日後、腕を組んでイチャイチャしながら登校している二人を、写真部部室から望遠レンズで覗き込む武智。そして後ろに控えている結城姉妹。

 公文書偽造。
 私文書偽造。
 不正アクセス。

 なにをどれだけ無茶したのか知らないが、神田佳奈美は弘蔵が防ごうとしようとしていた汰奈橋久道が西秋中学園に入学するという書類上の障壁を見事にパスさせてしまった。神田家がもつ不動産系列の部屋をいくつか転々とし、手続きが完了するまで久道の身柄を警察にも父親にも掴ませないそのバイタリティ。

 彼女は恋をすると、入ってはいけないスイッチが入ってしまう。それに神田弘蔵は長年頭を悩ませてきた。だがそのためにこの男が飼われているのだ。

「ねぇねぇたけちー」
「佳奈美先輩、こっちみてない~?」

 武智が覗くレンズの向こうで、ふりふりと手をふる神田佳奈美の姿。

「んまあ、この部屋多分佳奈美先輩の盗聴器だらけだからね」

 冷静に返す武智に結城姉妹の背筋に薄ら寒い何かが駆け上がってくる。つまりいままでの会話は筒抜けで聞かれている、そんな恐怖。突然携帯の着信音がなる。ぎぇ、と声にならない声を上げてお互い抱きついた結城姉妹を尻目に、彼はポチっと通話をタップした。

「ほいほーい、佳奈美先輩、お元気?」
「元気元気ー☆ ヒロ君しばらく構ってあげてなくなてごめんねー?」

 彼女の返事を聞きながら流れるようなスピーカーON。結城姉妹にも情報を共有する。

「ところで佳奈美先輩。お父様、おこですのよ? ご存じ?」
「ご存じのすけだよー、あはは、久しぶりに怒られたよー、留守電でだっけどー☆」

 この軽さはなんなのだろうという結城姉妹。きっとこの電話の向こうの汰奈橋久道も同じような気持ちなのかも知れないとか思っていたり、いなかったり。

「いやー、パパ様専属番犬の俺ちゃんとしては、まだ佳奈美先輩を連れ戻すようにー、とは言われてないけど」
「うんうん☆」

 聞き慣れた相づち。結城姉妹も神田佳奈美とは初対面というわけではない、武智とつるむようになった夏休み中になんどか神田家内にて面識がある。いつも明るく朗らか、天真爛漫健全ビッチを思わせる声のトーンだ。

「わか――」
「別れないよ」

 だから、武智の言葉に被せられるように発せられたその声に愕然とする。あまりにも、そのまますぎて。そのままの調子と声なのに、受ける印象が違いすぎて。

 受話器越しにただ発言するだけで、これだけ強い意思を込めることができる人間がどれだけいるだろうか。壮絶な決意とか軋む様な緊迫感とかそういう種類の圧力ではない、ただ淡泊で当たり前の事実をありのまま告げるような、品物を購入したら対価を支払う、なんてレベルと同義の一般的常識を語るように、そこに異論など挟む余地もないように。しかも、望遠レンズで覗くほどの距離なのに、彼女はこちらをしっかりと見て話しているのだ。彼女の言動と性格に免疫がない人間は単純に怖いだろう。きっとにこにこといつものお綺麗で可愛らしい笑顔で話している、部室からは遠くみえないのに、絶対にそうだとわかってしまう。

「パパから言われたのはそれだけかなー?」
「うん、まあ、そうだにゃん? あ、汰奈橋先輩とお話してもよかとです?」

 こういった会話で武智が押されるのも珍しい、そばに控えている結城姉妹は会話に割り込むことすらできない。緊張と緊迫が会話内容とまるであっていないのだ、そんなカオスに首を突っ込むだけの経験はまだこの姉妹は持ち合わせていないだろう。こういうことは一度決めたらまわりの空気を全く読まない牧村の彼氏の中田や、割り切りメンタルに定評がある真堂などの分野だ。

 受話器の向こうで、ヒロ君がダーリン☆と話たいってー、なんて呟きが聞こえる。

「やあ、もしもし? 君が武智君? ハニーの元彼の」

 敵愾心満々である。実は彼の以前を知るものなら噴きだしてしまいそうなセリフなのであるが、幸いにして昔の彼をよく知るものはこの場にはいない。

「おおう、出来上がっておりますなぁ、ええとこの度はおめでとうございます?」
「はは、ありがとう。おもしろいな、君。聞いていると思うけど、僕が今彼の汰奈橋久道だ。あ、最終的には婿養子にはいるつもりだから神田久道と名乗った方がいいかな?」

 想像以上の完熟度に、武智は窓に頭をぶつけた。

「あ、はい。いやその俺としてはどっちでもいいんですけどね、たなは――」
「久道と呼んでくれて結構。そっちの名ではあまり呼ばれたくはないんだ」
「おーけー、久道先輩。えーと、んーと」
「ああ、わかっている、一時の気の迷いとか、ヤったついでとか、そんなんじゃないことは百も承知だ。僕は冷静だよ」

 何から話したものかという武智に対して久道はそう続けた。ヤっているのデフォなんだー、さすがーと結城姉妹が視線を見合わせている。

「さいですか、んじゃこれからどうするつもりです?」

 冷静なら答えられるでしょ、教えてなんて後に続きそうだ。

「いまはハニーに頼りっぱなしだからね、あんまり大きなことは言えないけど。大学の推薦はまだ取り消していないし、そこらへんは手を回し終えたし、このまま身を隠しながらバイトででも生計をたてるさ。捜索願も警察にも説明済みだしね、身内の家出扱いでことはおさまっている、連絡先も伝えてあるしこれ以上は介入してこないさ。しばらく彼女と暮らして――、そうだな就職して子供ができたらお互いの両親へ挨拶に行こうと思っている。つまりは自立だ。僕もハニーも、親の手から離れたいってところは一致しているんだ」

「つまり、ぶっちゃけなんもないと」

 今の久道の発言になんら具体的な所はない。ただの夢見がちな少年の言い分である。
 だが、

「そうだよ、だから君にも手伝って欲しい、俺達を応援して欲しい、どうかな?」

 夢に向かって突き進むことを決めた少年は、基本的になりふり構わないのだ。通話の裏側できゃーダーリン素敵☆なんて声も聞こえる。きっと神田佳奈美が彼に惹かれてしまったのはこういう所なのだろう。

 事実、いま久道が通話する様子を、武智に協力を要請する様子を神田佳奈美は幸せそうに眺めている

 神田佳奈美は愛されたい。
 強烈に誰かに、何かに。
 父よりも強い愛に晒されて続けていたいのだ。
 彼女の幼少期母を亡くし、神田弘蔵が仕事に忙殺されていた頃に形成された彼女の歪んだメンタル。

 彼女は、誰かに、取られ、奪われることを常に望んでいる。
 愛でもいい。
 暴力でも良い。
 性欲だって構わない。

 だって誰かに取られるほどの存在でないと、心が平穏でいられない。
 母は自分を置いて遠いところへいってしまった。
 父はそれまであまりかまってくれなかった。
 それは自分に興味がないから、関心がないから。

 だから、自分が頑張らなくてはならない。
 だれからでも興味を感情のベクトルをむけられる自分でなくては。
 いつでも視線を集める自分でいるのだ。

 その状態でいる間は、寂しくない。辛くない。こころの中にあったかい何かが保持できる。だから、――間違ってはいないと彼女は確信する。

 一回行方をくらましたら父は必死で探してくれた、涙を流して謝ってくれた。回数を重ねてもきちんと探してくれた、抜け出す方法は段々難易度が上がってきたけど、それは自分の成長でなんとかできる。愛されるためなら頑張れる、なんでもできる。

 奪われたときの安心感と興奮と、奪い返されたときの高揚感と充実感。繰り返される度に灼かれ歪んでいく彼女の思考と脳細胞。思うだけならただの夢見がちな小娘のジュリエット症候群、だがそれを実行するスキルと金と行動力が伴うともはや手が付けられない破滅女の誕生である。

「はあ、まあよいですにょん?」

 武智はその申し出を快く受けることにした。

 神田弘蔵が武智光博に与えた仕事。
 佳奈美(実の娘)を常に何かから奪い返し続けろ。

 そしてその通話をシークレットな転送先で聞きながら、神田弘蔵は一人で呟いた。

「人のものが好きで好きで仕方がない、お前に適任だろう?」




 通話が終わり、武智は遠く窓の向こうで校門をくぐる久道達を見送る。

「さてと、とりかかりますかねぇ」

 声を弾ませ、胸を踊らせ、肩をワキワキさせながら結城姉妹へと振り返る。その楽しげな顔に、一抹の不安を彼女たちは覚えるが、これも運命と割り切って覚悟を決めていく。

 登場人物は揃った。
 おそらく、今回の件もろくな結末にはならないのだろうという予感を孕みながら。

 理由は簡単だ。
 少し前にも述べたとおり、神田佳奈美は新しい玩具を手に入れた。

 そう、玩具だ。
 玩具の末路は大抵決まっている。

 大切にされて、一生箱の中にしまわれるか、
 次第に忘れ去られて、部屋の片隅で埃にまみれるか、

 ――遊びすぎて、壊してしまうか。


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