歪曲コミュニケーション

第7話 真堂香③


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「あ゛―、疲れたぁ」

 五月一日から日付が変わり五月二日。時計は午前二時を指している。ほぼ全ての作業を完遂し大きく伸びをした武智はゆっくりと後ろを振り返る。当然部室には誰もおらず、静けさに満ちた空間がそこに広がっている。

「んごぉ」

 と、ソファから聞こえてきた権野のイビキが武智の神聖な達成感を台無しにした。武智はそんな権野をため息を吐きながら見やると、備品のタオルを丁寧に水で搾り、当然の権利とも言うべく悟った表情で、そっと権野の顔に載せた。

「……よし」
「よし、じゃねぇよ。事案発生だろこれ」

 と、先ほどまでぐっすり寝入っていたと思われる権野がムクリと起き上がり、顔のタオルを取る。

「大丈夫だ、殺意はある。だから事案じゃねぇ」
「――事件じゃねぇか!!」

 と、やりとりをした所で、武智と権野はお互いにクックックと笑い出す。武智光博と権野忠俊、彼ら2人は親友である。武智が施設に入っていた頃からの唯一の友人といっても差し支えないかもしれない。牧村との関係とは異なり、武智光博と権野忠俊の関係は小学校の頃に遡る。だから権野は武智がどういう人間なのかを大体しっているし、同じく武智は権野がどういう人間なのかを知っている。

「――で? 何か話があるんだろ?」
「わりぃな、ホントはもうちょっと我慢できると思ってたんけどさ」

 そう言って、権野はぽつぽつと語りだすのだが、
 話が進むにつれて、武智の表情が非常に残念なものになっていく。

「――というわけで、脈はあると思うんだが」

 と、話の終わりに結論を出す権野に、

「いや、その理屈はおかしい」

 と間髪入れずツッコミを入れる武智。
 対して権野は

「え、なんで? だって部活じゃタオルを一番に渡してくれるし、おにぎりの具のリクエスト必ず聞いてくれるし?」

 と、ご覧の有様である。

「いいか、トシ。童貞を拗らせちまったお前にはわからんと思うが、マネージャーは部員にタオルを配るのが仕事だし、おにぎりの具は元からたくさん種類があるもんだ。そもそもよく考えてみろ。よしんばあの香ちゃんの好きな野郎が野球部にいたとしてだ、タオルを渡すんだったら、最初はどーでもいい奴らに配ってだな、んでお目当ての野郎があれ、俺の分はーとかキョロついているところに、『せーんぱい☆』と自ら買って用意したタオルをだな?」

「いや、ねーから、それこそリアルじゃねーから。ミツこそ夢見すぎだわ。そんなゲームみたいな女子いねえって……、あーいや佳奈美先輩は別な? 方向性違うけど」

 西秋中私立高等学校屈指の美少女、神田佳奈美。男子からエロ天使、女子からはビッチと呼ばれて早三年目。一向にブレることなく行われつづける汚れた品行方正の教科書たる振る舞いは、前述した詐称を生徒から好意的に言わせるまでに浸透してしまっている。真面目系クズや、清らかビッチなど足元にも及ばない本校のセクシャルシンボルとして絶賛定着中なのである。

「まー、佳奈美先輩ならタオルを渡す時に『今日、OKだにゃー☆』とかささやいた後に誰もいなくなった部室で後背位わんわんバックぱんぱんしてるぐらい平常運転だろうな」
「……どんな日常だよそれ、てかやけに具体的なんだがまさか――」
「ああ、実際ヤッてたの見た。確か相手は3年の――」
「まてまてまて、そこら辺の情報は明かさなくていい、俺はこの学校生活でそんなアバンギャルドは求めてねぇ」
「――なんだよ、ここからが結構面白いのに。んでさ、どうしようもねぇから俺は言ったわけよ、『人の部室へやで男連れ込んで股間からエロ汁垂れ流しているはしたない雌犬わんちゃんには躾が必要ですね』ってさ、ちょっと首輪と手錠で――」
「やーめーろーよー。なーんでお前は状況受け入れてんだよー、なーんで参加してんだよー、つーか3年の先輩どこいったんだよー」
「ああ、最後までいたよ。」
「なるほど、っていたんかーい!!」

 武智の返答に権野は関西芸人のノリで大きくリアクションをとる。話を戻そうぜ、と武智はまるでゲームの一イベントのように話を進めるのだが、実はこの三年男子と神田佳奈美との情事はそんな軽いものではなかった。幸いにも怪我人は出なかったが刃傷沙汰にもなったし、なによりもこの三年男子の心は壊された。神田佳奈美にとっては楽しく愉しい『ゲーム』。実父であり、この学校の理事長であり地域一帯の権力者でもある神田弘蔵にとっては『抑えるべき被害』であり『愛すべき愛娘の趣味』である。――そして武智光博当人にとっては衣食住を保証されるための『仕事』であり己が欲望を慰撫する『カウンセリング』でもある。

 神田弘蔵は娘の暴走を憂いつつも決定的な所で彼女に甘かった。
 神田佳奈美は自らの仄暗い欲をどうしても止められなかった。

 その破滅寸前とも言える神田家と武智光博の初接触は三年前、神田佳奈美が中学三年の時。一歩間違えれば大スキャンダルとなりかねなかったある事件があった。その事件で神田佳奈美は武智光博と会い、結果として事を治めてしまった。その顛末を聞いた神田弘蔵は武智光博をすぐさま囲った。

 ――彼が逃げないように。――あるいは、逃がさないように。

 結果として神田弘蔵は武智光博を手に入れ、武智光博は今の生活を手に入れた。そんな背景を心の中でぼんやりと反芻しながら、武智はふと権野をみて思い立つ。そうなのだ。武智はこの相談を受けてから肝心な部分を権野から聞き出していないことに気付く。

「まあ、それはそれとして、トシ。いや権野忠俊よ。お前はあの香ちゃんのどこが好きになっちゃったわけ?」

 そんな武智の質問に、権野の答えは実に単純だった。

「顔と体」

 クラスの女子が聞いたら総スカンを食うどころか卒業までハブられそうな回答に武智は、はははと苦笑いする。だが高校二年16~17歳とも言えば男子の勢力絶頂期と言っても過言ではない。気がつけばチンコを擦ることなど日常茶飯事出し、男だけなら三分に一回は下ネタが会話にもでる。剥けているか剥けていないか、はたまた剥けるのか剥けないのかという微妙なニュアンスにより、男子のカーストが決まってしまう恐ろしい時期でもあるのだ。そんな精力旺盛な男子生徒がドキッとする瞬間第一位は、当然の如く少し大人びてきた女子の体つきであることは実に正しいといえよう。顔が好みだから、体がエロいから――、人生の第一コーナーを曲がったぐらいのルーキーにはしごく真っ当な答えなのだ。

「――確かに。香ちゃん小柄でスレンダーだけど、腰とかきっちりくびれてたしエロいよな」

 そう、武智は権野の意見に同意する。

「だろ、あとさ、クールに見えるんだけど世話好きでさー、そのギャップがたまんねってのか、――あ、弟が三人もいるらしいぜ? そいつらも野球やるらしくってっさ、今度香ちゃんの家に――」

 と、意気揚々と話を続ける権野。どうやらいつの間にか自宅へ遊びに行く約束も取り付けているところや、浮かれて話す親友の話しぶりを見ながら、武智はあの緊張するたびにえずいていたり、吐いたりしていた小学生の頃の権野を思い出し、こいつも成長しだんだなーと、感慨深げに見やり、

「――そ、そんなわけでさ、俺、明日、香ちゃんに告白しにょうと思う――ぷ、わけだが、……どうよ?」

 口を抑えながら顔色悪く親指を立てる権野。どうやらハイテンションでごまかしきれず脳が現実を知覚してしまったらしい。

「だめじゃんか」

 ――ストレス性の胃酸過剰分泌性。つまり緊張が過ぎるとおえってなるアレである。といっても生活に支障が出るレベルでは無いし、彼の成長とともに症状は軽減しているのだが、

「おま、試合でノーアウト満塁でもそうはならないだろ」

 そう、いつも緊張でゲロっていてエースが張れるほどこの学校のメンツは甘くない。ゲロっていても尚且つ一番の仕事をするからエースなのだ。つまり、今の権野の状況は、その仕事の時以上に緊張をしているということだ。そんな中、絞り出すような声で権野が呟きだした。

「……1年前なんだよ、もう1年経っちゃったんだよ、ミツ」

 俯せたまま権野はゆっくりと呟く。声のトーンは深刻だ。

「あー、そういえば、そうか」

 そう、今を遡ること1年前、入学早々、権野はある同級生の女子と良い雰囲気になっており、YOU付き合っちゃえYO的な雰囲気でまわりも茶化していた。部活も同じ野球部。女子はマネージャーだ。ゴールデンウィークの練習の合間、友人一同からの後押しを受けて、その女子は勇気を振り絞り権野に告白した。

 あとの顛末は地獄絵図である。といっても権野がゲロをまき散らしたとかそんなグロ場面ではない。単に告白されて、告白を理解して、ものすごく嬉しくて、舞い上がって、彼は思わず物陰でバケツにえろえろしちゃっただけなのである。

 傍から見たら女子が告白したら、された男子が速攻でバケツにえろえろしちゃったのである。

「いやー、あの誤解を解くのはすげぇ大変だったなぁ……」
「嫌な事件だったなぁ……」

「吐くほど、嫌だったの……?」「今まで、ごめんなさい……!」

 と、死にそうな声で呟いてその場を走り去るその女子と、事情知っている組と知らない組の大悶着。お陰で権野の体質は学年全体に知れ渡る事になったのだが、結局2人はその後付き合うことは無かった。

 ちなみにその女子は普通の友人として今も権野や武智と仲良くやっているのだから、人生わからないもんである。彼女曰く。「うん、ある意味目が覚めちゃったわ、あははー」だそうだ。彼女いわく、友達としては良いが恋愛対象には二度と入らなということだ。まあ多感な年代における一世一代の告白の返事がリバースでは、トラウマにならなかっただけマシというものであるが。

「このままじゃ、俺には高校時代に彼女ができんという事態に……、それだけは避けたい!!」

 ソファでぐったりしている権野忠俊、懇親の叫びであった。

「……で、俺は何をすればいいんだ?」
「――おう、実はな」




 ――翌日、こぼれ出るあくびをこらえきれず暴発させる武智。時は5月2日のお昼である。臨時戦力の佐藤の手伝いもあり、昨日の夜時点であらかた作業を済ませてしまった武智はのんびりと穏やかな時間を部室で過ごしていた。外ではうおーいと、野球部が野太い掛け声を上げながら練習をしている。彼らの練習が終わる17時30分。その一時間後の18時30分。この新聞部室で権野の告白が決行される予定である。二年エースという確固たる地位を確立している権野も、野球部のアイドルというかマドンナ的な存在になりつつ真堂香への告白を流石に部員がいるエリアでの実行は気まずいらしい。

「部の紹介動画のことでちょっと微調整しなけりゃならないから練習後に来てくれ」

 そう真堂香には登校の時点で伝達済みである。権野からの武智への頼みは場所の提供とリバース対策だ。場所についてはほぼ武智の私室といってもいい部室を利用する。もうひとつは武智のつて(これも大っぴらには出来ないものだが)で手に入れた強めの精神安定剤を渡してある。

「さて、上手くいくといいんだがねぇ」
「そうだにゃー?」
「いくんじゃない? 権野は黙ってれば割とマシな部類だしー」

 と、武智の何気ないつぶやきに、後ろのソファから神田佳奈美と牧村真樹が合いの手を入れる。

「……いやいやいや、いーやいやいや。そこのお二人様。なーんでここにいるんですかねぇ?」

 権野が武智に告白の相談をしたのは昨日の深夜。そして今日の今である。神田佳奈美と牧村真樹はいったいどこをどう嗅ぎつけてこの場でスタンバイしているのかという話であるのだが。

「いえーい☆ とーちょーきー☆」

 と、神田佳奈美が胸の谷間四次元ポケットから自慢げに秘密道具を出す。それを武智は顔に手を当てて……、

「これだからメカに強いビッチは……」

 と、悪態をつく。もはやなんでそこまで? と聞く必要も無い。神田佳奈美本人の顔にすごく面白そうだから、と書いてあるのだ。

「で、そこのゴリラコング様はなんでいんのよ?」

 と、武智は牧村に視線をやる

「え、あたし? って誰がゴリラコングだコラ。……いやー、ははは、暇だったし佳奈美先輩に誘われちゃったし、面白そうだしー」

 てへぺろ、と牧村はわざとらしくリアクションをする。武智はそれをジト目で見ながら、この女どもはなんで本音を隠そうとしないかね、とかぶつぶつと呟きながら席を立つ。牧村だけなら武智は強引に追い出したろうが、神田佳奈美も絡んでいるとなると、もうこれは神田幸蔵から依頼されている仕事の一部である。穏便に躱すなり、いなすなりしなければスポンサー評価にも響くというものだ。

 「あれ、どこいくの?」

 と牧村が席を立つ武智に話しかけると、

 「いや、君たちシナリオ外の人間なんだから、いちゃダメでしょ」

 と、返し、部屋の仮眠スペースの奥にあるポスターを外す。するとそこには壁の切れ目があり――。

「よいしょっと」

 と、武智が軽く押すと、壁が奥にずれて中にスペースがあるのが確認できた。

「うっわー、隠し部屋とか……まじ?」

 この学園の闇をみたわー、とか牧村がドン引いた声をだすが、

「ばーっか、ちっげーよ。この部室はこの学校の名目上第二応接室なんだよ、わかるか?」

 と、武智は牧村に答えるが、当の本人は首を傾げるだけで全く意味を理解していないらしい。

「しょーがない☆ 脳みそに行く栄養が胸までいっちゃった真希ちゃんの変わりに私が説明してあげよー!! 大体の企業や団体は本来の応接しとは別に特別なお客様をお迎えする応接室をもっているのでーす!!」

 と佳奈美が真希の後ろからその豊満な胸を揉みしだきながら、解説を始める。

「お、さすが理事長(経営者)の娘、わかってますなー」と、武智が。
「え、……え、なに? VIP用? って佳奈美先輩、揉まないで……あんっ」と牧村が。

 まあ、ある意味VIPだがなーと、武智がと呟きながら部屋に入っていく。

「えっへっへー、神田家ならずともお金持ちの団体や企業にはね~、難癖とかいちゃもんとかつけてくれる、こわ~いおじさんとか、インテリの皮を被ったくず野郎がいるわけなのさ真希ちゃん☆」

 そこまで聞いて牧村はやっと合点を得たようで、ああ、と頷くと、そういうことだ、と隠し部屋の中が使えるか見てきた武智が再び答える。

「要は、893屋さんや金くれクレームおじさん、モンスター両親ちゃんとかの応対模様を録画、保存する設備、並びに騒ぎにしないための防音設備、そしていざというときの避難場所、または暴力に対抗するために警備員さんや弁護士さんを隠し部屋に待機させたりな、そこの姿見がマジックミラーになってる。あ、隠し部屋は風呂トイレ完備だから漏れそうでも中からでてくんなよ?」

 と、武智が二人を見れば。

「真希ちゃん、おっぱいほんときもちーねぇ……ね、えっちする? えっちしよ?」
「やめ……ちょ、あっ佳奈美先輩ほんとに洒落にならないですって……ちょっあっあっ」

 どうにか助けろ光博と、牧村が暴れるが、神田佳奈美のホールドは彼でも解くことは難しい代物である。とりあえず目的は二人を隠し部屋へと隔離することなので、佳奈美に隠し部屋へと引きずり込まれつつある牧村に対して、武智は頑張れ、と合掌するだけであった。

 そして、隠し部屋の壁をよいしょ、と武智が戻したときにこんこんと、ノック音。

「さて、我が親友のために一肌脱ぎますかねぇ」

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