谷間合宿半ばの5月1日の夕方、編集作業も佳境に入り、キーボードを叩く音がカタカタからズダダダ、と暴力的な者に変化して早数時間、新聞部の部室は異様な雰囲気に包まれていた。部室の奥側、――パソコンの周りでは武智と先ほど巻き込まれた二次研の佐藤氏が一心不乱に編集作業をしているゾーンである。その周囲には5月とは思えないほど熱気と鬱屈なオーラに包まれており、その生み出す熱量を相殺するため、2時間前にはエアコンが投入される有り様である。
「あっはっはー、そうかそうか、真樹ちゃんはかわいいのう、うりうり」
「やっ、ちょっ、佳奈美センパ……何するんですか……あっ、こら権野こっちんみんな、って中田先輩も見てないで止めてくださいッ」
一方手前のソファでは神田佳奈美が牧村真樹の胸を後ろから揉みしだいており、対面ではその様子を食い入るように見ている権野忠俊と諦めたような中田浩二が座っている。
「すまん真樹。この学校で神田こいつを止められる奴はおらん、特に同学年ではな」
「ミツ、助けてやれば?」
「――無理、仕事中」
4人共1時間ほど前からこの部室に居座っており、編集作業に忙殺されている武智を他所に部室の冷蔵庫やら電子レンジやらを活用し、お茶会を開いているのだ。もちろん、主犯もとい首謀者は理事長の一人娘にして当校きっての問題児。西秋中私立高等学校の小悪魔系女子、神田佳奈美その人である。もっとも武智に言わせれば小悪魔ではなく女郎蜘蛛だそうであるが。
というわけで、野球部の練習が終わり武智に会いに来た権野と、バレー部のムービーの件で、部室を訪れた中田と牧村が、武智に構ってもらえず暇を持て余していた神田佳奈美の蜘蛛の糸に絡め取られてしまったわけである。
そして神田佳奈美の興味は最近付き合い始めたという中田と牧村へと向き、二人が既に一発やっているという事を聞き出すと、この豊満ボディを中田は満足させてるのかーだの、私がお手本を見せてあげようだの、おやじモードに突入して牧村にセクハラを始めた塩梅であった。武智としてはそんな佳奈美の蜘蛛の糸に、この糞忙しい中絡まってやるつもりは毛頭なかった。
(まー、俺とも一発やっちゃってるんだが、いや十?、二十じゃきかんかなー、浣腸もしたし、バイブで二穴もしたなー)
と武智は心の中で呟くが、今の彼には大事な仕事があるのだ。彼女らに巻き込まれて時間をロスしてしまってはたまったものではないのだ。理事長の評価とご機嫌は武智の生活の生命線である。武智は命綱を自ら切断するほど馬鹿ではない。そういった意味では神田佳奈美の相手も、頃合いをみてしてやらなくてはいけないのだが、と考えた所で、武智は隣の佐藤氏の様子がおかしいことに気づく。
「ううう、武智氏ぃ、これがスクールカーストでござるか、これが※(ただしイケメンに限る)というやつでござるかぁ、うぐ、ふぐぅ」
と、血の涙が流れそうな形相をして画面を睨む佐藤氏がいた。その視線の先には画面を切り替えブラックアウトする度に映りこむソファのお茶会の光景だろう。なるほど、あそこにいるメンツは野球部のエース、バレー部のキャプテンとその彼女、そして学校一の美少女とも名高い神田佳奈美である。彼女の危うさを知らない生徒にはそんな風に映るのか、と心のなかで納得すると、貴重な戦力を失わせないため、武智はもっともらしい声色で
「……あー、佐藤氏。そう気に病むな、ここだけの話だが、佳奈美先輩の胸は作り物だし、メイクを落とすと別人だぞ。 真樹だって毎朝電車で顔を合わせる度に部活で鍛えあげられた筋力と跳躍力でショルダータックルをかましてくる野獣だぞ? 奴の本質は人間よりゴリラに近い。どうだ、そんな野獣より、今月末発売の『ぷりてぃ☆ねごしえいしょん』のキョーコちゃんを見ろ。品行方正、才色兼備、スタイルもよく性格もいい、何よりキョーコちゃんは佐藤氏を裏切らない。さあ、手を動かすんだ、今なら俺のコネを駆使して佐藤氏に各店の限定特典を――」
と、いったところで
「ふああぁ」
と、武智の横で佐藤氏が声を上げる。そこには作業に更ける佐藤氏の首をきゅっと、ひねり、牧村ほどでは無いにせよ、よく育ったお胸へ顔を埋めさせている神田佳奈美がいた。
「ひろくーん? 私のことで嘘を教えるのはよくないにゃー? ほーら、さ・と・う・く・ん♡ 私のおっぱい作りものにみえるかにゃー? ほりゃほりゃ」
はっと武智が佐藤氏の表情をみれば、彼はふにふにと神田佳奈美の胸の谷間でで――や、やわらかいでしゅ、と幸せな断末魔を上げて溺れてしまっていた。
「……佳奈美先輩、貴重な戦力になんてことを。――佐藤氏、目を覚ますんだ、こっちにもどってこい!!」
「――んふ、よそ見はだめだぞ、――ひろくん。佐藤くんばっかり気にしてていいのかにゃー?」
そんな佳奈美の忠告に、武智が恐る恐る後ろを向けば、牧村がウホウホと鼻息を荒くしており、
「……光博ぉ、だぁれが野獣でゴリラでドンキーコングだってぇ?」
「……さ、最後のコングはいってませんですことよ。牧村さん……」
「……うっさい、問答無用よ!!」
と、牧村は得意技のジャンピングショルダータックルを武智にかまし、武智はそれをすんでの所で回避し、部室の外へ逃げるべくドアへ向かう。だがしかし、不幸にもそのドアに人影が移り、武智の退路が塞がれてしまった。
「み~つ~ひ~ろ~」
武智が振り返れば、動きが止まった彼を捉えるべく野獣ゴリラコングと化した牧村が、武智へとタックルをかましたのであった。
同時に、ガラリとドアが空き、制服姿の女子が部室へと入ってくる。黒く長い髪をポニーテールでまとめ、ポロシャツと制服のスカートが小柄ながらもきっちりとからだの凹凸を表している。女子高生らしい丈のスカートから健康的に伸びた太ももからヒザ下のハイソックスまでのラインには無駄が無く、運動部なのかすこし小麦色にやけた肌が艶かしい。
と、なぜここまでこの少女に関する詳細な下半身情報が見て取れたかというと、武智の頭が少女の股下に位置していたからである。状況を加味して説明すると、牧村のタックルで仰向けに倒れる武智と、部室を開ける少女のタイミングが奇跡的に一致し、まあこのような状況と相成ったわけであるのだが――
「――黒」
部室の時が固まる中、ズビシ、と武智は両人差し指を少女のスカートの中を指さし、宣言した。
武智の声が自分の股下から聞こえたことで、少女がここでようやく下方をみる。そして自分の足の間の武智との視線があう。この状況をさして気にもしていないようなメガネ越しのクールな表情が、ドヤ顔で少女の股ぐらを指さしている武智を確認し、
「――濃紺です」
と、一言つぶやくと、その美しい足で光博の顔面をげしっと踏みつけ、ぐりぐりと踏みにじる。そして部室の面々に向き直ると、ぺこりと律儀にお辞儀をして――
「……1年の野球部マネージャー真堂香と申します。 新聞部の武智先輩はいらっしゃいますでしょうか、野球部の動画で少し修正したい部分がございまして」
再び部室の時が止まる。予想外に動じない子に神田佳奈美ですら対応を決めかねている始末である。そんな沈黙の中、真堂香はぐるりと周囲を見回すと、部室のメンバーに見知った顔を見つける。
「――あ、権野先輩。お疲れ様です」
体育会系の後輩らしく律儀にきちんと挨拶をする真堂。
「……あー、真堂。 ――そのミツ、いや武智なんだが……」
そんな様子を見ながら権野はちょいちょいと、真堂の股下で蠢いている人物を指さし、さらに隣の上級生がこれまたちょいちょいと真堂が顔面を踏みつけている男を指さし、さらに奥にいる綺麗な上級生と目の前にいる巨乳の上級生もちょいちょい、と真堂の上履きの裏でモゴモゴ言っている男を指差していた。
「……あの、武智先輩って、……上履きが特にお好きな方だったりするんでしょうか? 大変申し訳無いのですが、私、これ購入したばかりですので……、中学で使っていたお古とかなら融通しますけど」
「いや、そんな残念な人を見る顔でそんなこといわれてもね……、別に俺、合成ゴムは好物じゃねぇし……上辺より中身派だし……」
「……ですよね、冗談です」
と、軽く笑って真堂香はソファへと向かい、権野の前にちょこん、と座る。
(――なるほど、ね)
未だいきり立っている牧村を宥めながら、武智は思う。
少しキツイ性格しているけど、まあ野球部で人気がでるのはわかる、と。
――ですよね、冗談です。
そういった瞬間、彼女の無表情が崩れ、笑顔が溢れる。メガネ越しの幼さと大人びた表情が混ざったようなその笑顔は確かに人を引きつけるものだったからだ。ふと権野を見やれば、目の前の真堂香をチラチラと見ながら、体を固くしているのが分かる。
そんな光景に目を細めながら、武智は大きく伸びをして、
「おーい、佐藤氏も休憩しようぜぃ」
といってソファに向かう。
これが武智光博と真堂香のファーストコンタクト。
そしてこの夜、武智は権野から真堂についての相談を受けることになる。