牧村真樹と武智光博は西秋中私立高等学校におけるクラスメートである。二人は1年の時から同じクラスであり、気さくに話す仲でもあり、互いに友人を誘い遊びに行くこともあった。先の春休みでは、牧村が先輩である中田浩二に告白された時、それを受けるかどうかの相談もした。武智は牧村にとっていわば異性の頼れる親友というポジションであった――。
――で、あったという表現を用いたのは、牧村真樹の中での武智光博の頼れる親友という価値観が、もはや崩れ去っているからである。
――がたん、ごとん。
と、通勤通学者で溢れた満員電車の中、車両の角に牧村と武智はいた。牧村は角の角にもたれかかり、武智がそれを庇うようにして電車に揺られている。武智光博の身長は180cm近く、157cmの牧村はすっぽりと隠れてしまう。他の乗客からは意図的に覗きこまなければ、牧村の表情などは読み取れないだろう。
よって牧村真樹の短いスカートの丈からにゅっと伸びている太ももが、先程からじれったく擦り合わされたり、肩が時々震えたり、ブラウスのボタンが上3つほど外されていたり、学校指定のブレザーとそれを押し上げる豊満な牧村の胸の間に、武智の指が滑り込んでいることなど、知る由もないのである。
牧村の表情は硬い。もぞもぞと武智の右手が牧村の左胸の先をゆっくりとなぞっている。どうやらブラウス越しに乳首の場所を場所を探しているようで、時折くにくにと指の関節が曲げられ、牧村の膨らみが、ぷにゅっと押し込まれていた。
「……真樹、すっげぇしこってる、……ほら」
武智が牧村の耳元で囁く。牧村が視線を下に落とすと、そこにはブラウスとブラジャーの生地ごと武智の親指と中指に弄ばれる自分の胸の突起があった。
「……ねぇ……光博……。こんなこともうやめよ……、私……中田先輩に顔向けできないよ……」
懇願するような牧村の視線と声、だが武智はふん、と息を鳴らすと、右の人差し指を牧村の乳首と思われる場所へぐにゅんと押しこむ。
「…………あっ……あっ……それだ……め、だめ……だよ……みつひろぉ……」
ぐにゅぐにゅぐにゅ、と三度の埋没。
牧村の体が小刻みに反応し、うつむき加減だった顎が上へと向く。整った顔立ちは上気しており、少し乱れたショートボブは実に色っぽい。口元は、――はっ、――ふっと生温かい快感を紡ぎだしており、少しでも声を抑えるためだろうか、牧村の右手は口元に当てられていて、左手は武智の腕を抑えていた。
「……やめてもいいけどさ、真樹、気持よくねーの? ……ん?」
そんな武智の囁きに、牧村は武智を睨みつける。
(そんなの――!!)
決まっている、――と牧村は心中で叫ぶ。
――気持ち良いのだ。
自分でするよりも、中田先輩に触られるよりも、今武智に触られている時ほどに、牧村の両乳首が硬く凝り固まったことなど無かった。牧村は後悔していた。――3日前のあの日、なぜ自分は強く武智を拒まなかったのか。なぜ、誘惑と好奇心を断ち切れなかったのかと。あそこで、あそこで我慢さえできていれば――、と。
武智の左手にいつの間にかスマホが握られている。
赤く光るランプは動画モードの証拠だ。
「……で? ……どうなの?」
そんな武智の言葉に牧村の口より先に牧村の両乳首がきゅん、と答えた。牧村は「撮られている」という事実にぞくん、と背中を震わせると、躊躇いがちに武智に質問に答える。本意では無いが、掛け値なしに武智の愛撫は気持ちがいいし、ずっとこうしていたいという理不尽な説得力があった。
「……それは……きもちい……けど……、……あ……あっ……あっ」
武智が断続的に右手を動かす。尖った牧村の乳首の頭をやさしくこねていく。牧村の心は拒んでも、体の抵抗が乳首を擦られる度に強引に削りとかされていく。
「……き、今日で……最後……だからね? んっ……、……ぜったいさいごなんだからね……? あっ……あっ……、もう……あっ、……それ……すご……んっ」
スマホの画面越しに、喘ぐ牧村の顔は、どう見ても愛撫をおねだりする牝の顔になっていることを、本人は知らない。一昨日は乳首を擦られるだけだった。昨日は服の中で直に揉まれた。そして今日は――、
「……真樹、……後ろむけよ」
――どうやら後ろから胸を揉みしだかれるらしい、と牧村は心のなかで呟く。おしりに武智の股間が硬くなっているのに気づく。それと同時に、牧村の脇から差し込まれた武智の両腕が、しつこいぐらいに優しい愛撫で、降車駅まで彼女の胸を弄ぶことになる。
(……あっんっ……なんでこんなに上手いのよ、……あっあっ……あっ、それいいよぉ)
今日で最後などという決意は上の空、電車を降りるまで、牧村真樹はたっぷりとこの気持ちよさに身を浸らせるのであった。
■
さて、この二人の関係が今日の様に変化してしまうまで何があったかは、まず武智光博という人間がどういう人間なのかという事を説明しなくてはならない。
武智光博は、自らが異常だということを自覚している。そのきっかけは小学校の頃の友達が持っていた最新式のエアガンだったのかもしれないし、中学校の頃学年の可愛くて有名な女の子が誰それとキスをした、という噂を聞いた時からかも知れない。
――武智光博は、人のモノが良く見える。
羨ましく、見えてしまう。
価値あるものに、見えてしまう。
強引にでも、手に入れてしまいたくなってしまう。
自分の欲望は人間関係を危うくする。
そんな子供らしくない客観的視点を早々に身につけられたのは、彼の両親が既にこの世におらず、小中時代を施設。そして高校生にして一人暮らしという大人びた生活を余儀なくされているせいかもしれない。そう、彼の人生はあらゆる面に於いて、周囲との人間関係無しには成り立たない状況であった。だから武智光博は人間関係を極力気にし、重んじてきたし、これからも様々な人と繋がり、コミュニケーションを積極的に取っていくのであろう。
だがしかし、多くの人々と知り合いになり、人間関係を結ぶということは、それだけ彼の性癖を刺激することになる。その代替手段を手に入れるきっかけとして、施設で暮らしていた中学生時代に、現在の武智の金銭面でのスポンサーである神田弘蔵と知り合えたことは彼の人生において大きな転換期であった。それ以降、武智光博の人生において金銭的な猶予が生まれる、神田弘蔵は彼に仕事と住まいを用意した。彼の人生はベリーハードからハードぐらいに易しくなったのではあるが――。
あちらを立てればこちらが立たず、神田弘蔵が運営する高校に通えることになり、少し生活に余裕が出た光博の中で、折り合いを付けてきた生来の性癖が疼きだす。高校生ともなれば人とは違うオンリーワンを自己主張しがちなお年頃、友人たちの何気ない一言や立ち振まいが光博の心中をざわざわと掻き立てた。
そして、このままじゃまずいと、武智がとった対策は、写真や、動画による代償行為であった。欲しいと思ったものをデジタルデータに変換し、コレクションする。彼はそんな代償行為で自らの心を落ち着けようとした。そして、その方法は奇しくも彼の精神を素晴らしく安定させることに成功する。
だが、いくら代償行為でごまかした所で、彼の欲望が消え去るわけでもない。寧ろ、彼はその代償行為自体をより、自らの欲望に最適化させるために、自らできることを自らこなしていったのだ。
彼はどうせやるのならばと、この自分の嗜好を堂々と行っても周囲から怪しまれないようにしようと、全力を尽くした。持ち前のコミュニケーション能力と交友関係で学校をところ狭しと取材し、記事を書き、写真や動画を撮り、配信する「たった一人の新聞部」。彼の異常とも言えるその成果は、たった一年で紙媒体だけでなく専用アプリを用いてのデジタル配信までカバーする学校と周辺地域の情報誌としての地位を確立していたのである。
さて、ここ迄の説明で武智光博という少年は、只ならぬ少年であるということがわかる。彼は恵まれない人生の中で、――自分に厳しく、そして道を外れること無く、持ち前の行動力を持ってたくましく生きてきた。その報いがスポンサーである神田弘蔵との出会いであり、彼の今の社会的地位へと押し上げたのである。
――などと、本人に言おうものなら、彼は腹を抱えて笑うことであろう。
武智光博という存在は、唯一つの事しかしていない。彼は自からの人生において、自らの人生が破綻しない条件の中で、叶えられる願いを叶えてきたに過ぎない。
――武智光博は違たがえない。
――それが、実現できることであるならば、寸分の狂いなく実行する。
――武智光博は善人ではない。
――彼は自分にリスクが無いならば、脅迫だって、強姦だって、きっと殺人だって厭わない。
――そして、
そんな武智光博は、――決定的にどこかが壊れている。
人のモノなんて後から後から湧き出てくる。
際限がない、自分の欲望。
彼はそれを解っていて、痛いほど理解していながら
いつか、どこかで叶えばいいなあと、彼はそんなことを――ずっと、考えてきたのだ。
そして、武智光博を押さえつけていた人生の安寧という箍たがが、あるものによって外されてしまう所からこの物語は始まる。
彼の右手に嵌められた指輪が、武智光博とその周囲の人間関係を、表の関係はそのままに、裏側から歪み、捻れさせていく。
ぐるぐると、
ぎりぎりと、
この1年間をかけて、彼らの関係は、ねじれ回って一回り。
それは果たして、元に戻ったと言えるのか、それとも別のものになったと言えるのか。
まず、事の起こりは、4月15日。日直当番で偶然数本早い電車に乗り合わせた、武智光博と牧村真樹。まずは二人の話から、はじめよう。